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きんらん社は1954年に設立された。貸本マンガとして、寺田ヒロオの『スポーツマン佐助』『背番号0』や、ちばてつやの『123と45ロク』などを出した出版社として知られている。全国貸本組合連合会(貸本全連)の協賛賛助会員でもあり、同連合会の機関紙『全国貸本新聞』に律儀に年賀挨拶や暑中見舞を出稿していた版元である。1960年7月13日に開催された貸本全連とマンガ出版社との懇談会、同年8月25日開催された貸本全連とマンガ編集者の懇談会にも出席している。

だが、貸本マンガに見切りをつけるのは早く、1961年に梧桐書院(1934年創業)と合併して現在は梧桐書院として実用書の刊行を続けている。

合併前、まだ貸本マンガの出版を続けていたころの所在地は、東京都文京区湯島6丁目29であった。1950年代の古い地図と現在の地図で調べてみると、今の住所表示では文京区本郷3丁目7である。ここから歩いて10分もかからないところである。行ってみることにする。

本郷3丁目の交差点から本郷通りを南に下り、サッカー通りのひとつ手前の道を左折すると、右手に見えてくるのが本郷3丁目7の一画である。
真新しいマンションや医療関係器具の製造会社など、11棟ほどの建物が並んでいる。東南アジア関連書物の発行所「めこん」もその一画にある。
きんらん社はどのあたりにあったのだろうか。

この一画の南端に、古くから営業を続けているらしい鍍金工場があった。かなり古びてはいるけれど、木造のどっしりした工場兼住居である。医療器具関連の会社がひしめき、ビルも林立するこのあたり一帯にあって、ちょっと時代をさかのぼったような建物である。
しかし、ビル化した医療器具メーカーの社屋も、50年ぐらい前はこんな姿だったのかもしれない。

その鍍金工場から、70歳ぐらいの女性が出てきたので、「このあたりに昔、きんらん社という出版社がありませんでしたか」と尋ねてみた。
旧住所はたしかに湯島6丁目の29だそうだが、記憶にないとのこと。そうだろうなあ。もう60年以上も前のことである。この女性がここで生まれ育ったとしても、10歳そこそこだったはずだ。それに、独立した社屋ではなく、貸しビルの1室での営業だったかもしれないので、記憶している人はそう多くはないだろう。

文京区には、若木書房、ひばり書房、つばめ出版、島村書店(東京トップ社)もあった。これから時間を見つけて、それらの「痕跡」を探してみることにしよう。
(三宅秀典)
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