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佐賀県武雄市のひまわり書房野田喜太郎さんから、貸本に関する貴重な資料をご寄贈いただいた。
「新潟 貸本案内」と題する新聞である。





貸本関係の新聞は、最近復刻出版された「全国貸本新聞」(全国貸本組合連合会)がよく知られているが、それは貸本業者向けの、いわば組合の機関紙的な性格をもつ新聞であった。

ところがこの「新潟 貸本新聞」はタイトルの横に

〈「街の読書家」と「街の図書館」を結ぶニュース〉

と書かれており、また欄外には

〈テレビにない読書のおもしろさ〉
〈清潔で安心して読める街の図書館〉
〈一冊買う代金で十倍の読書、街の図書館〉
〈毎度御愛読有難う御座います〉

とある。

貸本店とその利用者をむすぶニュースペーパーであったのは間違いないだろう。 「街の図書館」という言葉が頻繁に使われているところをみると、全国貸本組合連合会ではなく、全国読書普及商業協同組合系列の貸本業者がつくっていたものと思われる。

体裁はB6判4ページ、緑のインキで刷られた活版印刷である。この4号は1959年4月5日発行となっており、毎月2回発行されたようだ。残念ながら貸本マンガに関する記事は掲載されていないが、貸本業者の読者サービスの一環を垣間見ることができる貴重な資料である。(三宅秀典)
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7月25日(日)、湯島天神(東京都文京区)の参集殿で、「東京読書普及商業協同組合創立55周年記念祝賀会/『全国貸本新聞』復刻出版記念パーティ」が開催された。貸本業界関係者100名ほどが集い、「東読協」の55周年と、『復刻版 全国貸本新聞』の出版を祝った。

私たち貸本マンガ史研究会からは、梶井、吉備、三宅(政)、三宅(秀)が出席。

「『全国貸本新聞』復刻出版記念パーティ」では、その出版の意義を、版元の不二出版大野氏の司会のもと、浅岡邦雄氏(中京大学文学部言語表現学科准教授)、大竹正春氏(元貸本店「大竹文庫」経営者)、梶井、三宅が語った。

後半は、内記稔夫氏(現代マンガ図書館)の司会のもと、出席されたマンガ家、さいとう・たかを氏、山根青鬼氏、今村洋子氏、森田拳次氏、ビッグ錠氏、下元克己氏らで、貸本マンガ時代が語られた。
貸本業界関係者はご高齢な方が目立つ。戦後の文化の一翼を担った貸本文化関係者が集まるのは、これが最後かもしれない。きわめて意義深い集まりであった。

当会と、私の個人的な感慨といえば、はじめて、さいとう・たかを氏とお話しできたこと、そして、ビッグ錠氏、下元克己氏と再会できたことであった。
下元克己氏は、梶井との再会を子どものようによろこんでいたのが、印象に残った。(三宅秀典)

忍者武芸帳 影丸伝』(発行・小学館クリエイティブ/発売・小学館)復刻版の刊行が開始された。

1959年から貸本マンガとして描き続けられた同作品は、三洋社から東邦図書出版社へと版元がかわりながらも、17巻の大作である。
同作品の復刻版は、これまで小学館から2回にわたって刊行されている。最初の復刻は1966年、新書判サイズでカラーページはモノクロ処理されている。また、おなじく小学館で1970年から、カラーページも再現された箱入りの豪華本が刊行された。
オリジナルの三洋社版、東邦図書出版社版はもちろん、この2種類の復刻版も今では入手がかなり困難である。
貸本マンガが生み出した最高傑作を今、読み返すことができるのは、意義深いことだと思われる。(H)
4月4日は、東考社社主桜井昌一さんの七回忌であった。
吉備能人と二人でお墓参りをし、そのあと東考社を訪ねた。
桜井さんが眠るのは、埼玉県入間郡の「ゆず霊園」である。東武越生線の「東毛呂駅」から、徒歩だと30分ほど、タクシーだと5分ぐらいである。
駅からゆっくりと霊園まで歩くのもいいのだが、私は去年のお墓参りで道を間違え、1時間近くもさまよってしまった(なにしろ1年に1度のことである)。
そんなこともあって、今回は駅からタクシーを利用、霊園からは送迎バスで駅に戻った。
墓前に花を手向け、線香をたき、吉備と二人で缶ビールを飲みながら桜井さんの話をした。吉備は生前の桜井さんを知らない。しかし、吉備が墓前で手を合わせる時間のなんと長かったことか。
霊園入口の桜は満開だった。
桜井さんは、その名のとおり、桜の美しいころに亡くなられた。
6年前、坂戸のメモリアルホールでの告別式の帰り、美しい桜を悲しい気持でながめた。
でも、ここ数年のお墓参りの帰り、田舎の道を駅へと向かう途中、私の目をひいたのは、桜よりも野辺の小さな花々であった。
このような小さな花々が、桜井さんらしいと思った。だからいつも、墓参の帰りはゆっくり歩いて、そんな花の写真を撮った。

東考社では、桜井夫人、千鶴子さんの歓待を受け、長々と居座ってしまった。桜井さんの話をすると時間を忘れてしまう。

劇画が生まれて51年。「劇画工房」が誕生して今年で50年である。この、けっして短くはない月日のなかで、桜井昌一さんが果たされた役割を思い返してみたい。(H)

今日(3月11日)、上野を散歩していたら、「図書出版 金園社」という建物を見つけた。貸本マンガのミステリ短編誌『ジャガー』や『眼』、少女マンガの短編 誌『こまどり』や『りぼん』を出したのは金園社だった。その出版社と同じかどうかはわからない。【インターネットで調べると】、 今日見つけた金園社の創立は1948年だ。今は実用書を作ってい る。48年の創立だとすると、一時期、貸本マンガを出版していた 可能性もあるなあ、と思いながら撮った写真をアップする。(H)

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