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先日N氏と会った。
私より一歳年長だが、N氏というよりN君と呼ばせてもらおうと思う。
N君とは、小学生のころ入会していた「マンガ研究会」のメンバーとして知り合いだった。知り合いといっても、文通を重ねただけで、会ったことはなかった。当時(1960年代)、貸本マンガを中心軸にしながら、たくさんの「マンガ研究会」や「劇画研究会」があった。そのひとつの「研究会」で私はN君と知り合った。それが貸本マンガの「投稿欄」での会員募集だったのか、あるいは知人に紹介されてだったのかは記憶があやふやだ。
N君は貸本マンガの投稿欄の似顔絵で常にトップクラスだった。私はといえば、小学生のころ、たしか『少年ブック』に連載されていた川崎のぼるの「大平原児」の似顔絵を投稿して、欄外に「投稿ありがとう」と名前が掲載される程度でしかなかった。
N君との文通は、いつまで続いたのだろうか。高校二年ぐらいまでだっただろうか。
長い年月が経って、私たちが『貸本マンガ史研究』を発行しだし、それがある新聞で紹介されたあと、何通かの購入申込みの手紙のなかに、N君の名前があった。
それから、ほんのたまに手紙やメールのやりとりをした。『貸本マンガRETURNS』の製作でも、貴重な資料を提供していただいた。
ある日、そのN君から移転通知のファックスが届いた。そこに電話番号が書かれていたので、しばらくたって、私は思い切って電話をかけてみた。深夜である。まったく無礼な振る舞いであった。
しかし、N君はやさしく相手をしてくれ、貴重な資料を持って、わざわざここまで訪ねてきてくれた。
初めて、文通などを始めて約半世紀経ってお会いしたN君は、私が子どものころ想像していたN君そのものであった。おたがいに歳はとってしまったけれど。
生業が同業ということもあり、そんな話も含めて5時間近くも話したのだった。もちろんアルコール抜き、である。
その日N君が持ってきてくれた資料のひとつをアップする。
「劇画集団」がファン向けに発行していた会誌『劇画集団 ジュニアマガジン』第2号の表紙である。
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