×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
1950年代前半から15年間ほど町のいたるところに貸本店があった。 当時私が暮らしていた福岡にも、子どもの足で15分圏内に3、4軒の貸本店があった。 いや、ここでは貸本店ではなく、子どものころのように貸本屋と呼ぼう。 しかし、不思議なことに貸本屋の写真はあまり残っていない。街頭紙芝居の写真は見かけることも多いのだが、貸本屋の写真はなぜか少ない。 最盛期には全国に3万軒もあったといわれる貸本屋だが、その写真が少ないのは、町の風景のなかに溶け込んで、被写体としておもしろいものではなかったのかもしれない。 そのような貴重な貸本屋の写真を、先日報告した「東京読書普及商業協同組合創立55周年記念祝賀会」会場に設置されたパネルで見ることができた。どちらも50年代後半の東京のネオ書房の店舗である。パネルに掲示された小さな写真を撮影したものだから、画質は悪いけれど、ここに掲示する。
私が暮らしていた福岡と東京という違いはあるけれど、私はこの写真を見てとても懐かしい気持になった。店のつくりなど、ほとんど変わらないのだ。 若い貸本マンガ研究者やファンは、実際に貸本屋を知らないかもしれない。しかし、この写真を見ると、戦後の一時期、貸本屋がその時代、そしてそれぞれの町で戦後の文化の一翼を担っていたこと、また、貸本業者にもそういう自負があったことが理解されよう。(三宅秀典)
私が暮らしていた福岡と東京という違いはあるけれど、私はこの写真を見てとても懐かしい気持になった。店のつくりなど、ほとんど変わらないのだ。 若い貸本マンガ研究者やファンは、実際に貸本屋を知らないかもしれない。しかし、この写真を見ると、戦後の一時期、貸本屋がその時代、そしてそれぞれの町で戦後の文化の一翼を担っていたこと、また、貸本業者にもそういう自負があったことが理解されよう。(三宅秀典)
PR