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1950年代前半から15年間ほど町のいたるところに貸本店があった。 当時私が暮らしていた福岡にも、子どもの足で15分圏内に3、4軒の貸本店があった。 いや、ここでは貸本店ではなく、子どものころのように貸本屋と呼ぼう。 しかし、不思議なことに貸本屋の写真はあまり残っていない。街頭紙芝居の写真は見かけることも多いのだが、貸本屋の写真はなぜか少ない。 最盛期には全国に3万軒もあったといわれる貸本屋だが、その写真が少ないのは、町の風景のなかに溶け込んで、被写体としておもしろいものではなかったのかもしれない。 そのような貴重な貸本屋の写真を、先日報告した「東京読書普及商業協同組合創立55周年記念祝賀会」会場に設置されたパネルで見ることができた。どちらも50年代後半の東京のネオ書房の店舗である。パネルに掲示された小さな写真を撮影したものだから、画質は悪いけれど、ここに掲示する。

 
私が暮らしていた福岡と東京という違いはあるけれど、私はこの写真を見てとても懐かしい気持になった。店のつくりなど、ほとんど変わらないのだ。 若い貸本マンガ研究者やファンは、実際に貸本屋を知らないかもしれない。しかし、この写真を見ると、戦後の一時期、貸本屋がその時代、そしてそれぞれの町で戦後の文化の一翼を担っていたこと、また、貸本業者にもそういう自負があったことが理解されよう。(三宅秀典)
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無題
3年ほど前に三鷹の北口をまっすぐ行ったところにネオ書房がまだ健在なのを見つけておどろいたことがあります。その日はあいにく定休日で、店の方にお話をうかがうことはできませんでした。60年代の建物が、そのまま残って営業をやっているのを見て、タイムスリップしたかのようでした。まだ健在だといいのですが。
TSUKIINU 2010/08/30(Mon)14:41:37 編集
無題
「新刊が安く読める」という看板が華々しいですね。開店の59年といえば、営業不振の兎月書房が浮沈をかけて劇画工房編纂の「摩天楼」を出しはじめた年。貸本マンガが内実は別にしてもっとも盛業にみえた頃かもしれませんね。高円寺店の盛衰が気になります。
吉備 2010/08/30(Mon)16:43:40 編集
なかよし文庫
パネルに展示された貸本屋さんの写真には、文京区根津の「なかよし文庫」もありました。
根津方面にはよく散歩に行っていたので、もう店は閉じていましたが、あの「貸本」と書かれた大きな看板を何度も眺めていました。
当会事務所(というほどのものでもありませんが)の本郷から歩いて15分ほどの、春日にも、まだ貸本屋さんが残っています。といっても、古本屋との兼業です。
店内の右が貸本部門、左が古本です。古くて格調高い2階建ての家屋です。右側に「貸本あり〼」と書かれた札が揺れています。近いうちに写真をアップします。
三宅秀典 2010/08/30(Mon)22:11:33 編集
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