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●貸本専門マンガの誕生
貸本マンガ出版の老舗をその設立年順にいくつかあげれば、曙出版(一九四七年)、ひばり書房(同)、東京漫画出版社(一九四八年)、若木書房(同)、太平洋出版(同)などがある。
これらの出版社が設立当初発行したのは、純然たる貸本専門のマンガではなかった。正規の流通経路(主に非大手の書籍取次会社)をとおして、新刊書店で販売されるものであった。もちろん、それが貸本店に並ばなかったというわけではない。だが、貸本店だけを対象としてマンガが出版されるのは、五三年ごろからである。
それは、そのころ各地に貸本店が急増し、全国に三万軒あるとさえいわれた貸本店だけを相手に出版しても、十分採算がとれたからである。さきにあげた出版社は徐々に貸本マンガ専門出版に軸足を移していくことになる。それらの出版社のマンガは、わずかな例外を除けば先述した体裁であった。
では、そのなかで時代劇マンガはどのようであっただろうか。
手元にある若木書房「傑作漫画全集」の『阿波の秘密』(図1、だんひろし、五五年発行)、ひばり書房「ひばりのまんが」の『けんか奴』(天草しげる、五五年発行)、それに太平洋出版の「漫画全集」『火縄銃伝奇』(図2、堀万太郎、五八年発行)をみてみよう。いずれも時代劇であるが、『けんか奴』だけが例外的に一四四ページで、定価はいずれも一三〇円である。
それぞれ巻末にはバックナンバーが記載されている。若木書房は九二冊。ひばり書房は四二冊、太平洋出版は二一二冊である。作品タイトルを手がかりに、そのなかに時代劇マンガがどれだけあるか調べると(方法上概数でしかないが)、若木書房は五七冊で約六二%。ほかは少女向けの作品だから、男児(少年)向けのものはほとんど時代劇マンガである。ひばり書房のそれは三〇冊で約七六%。太平洋出版にいたっては、八〇%以上を占める。もちろん、少女向けのマンガのなかにも多数の時代劇があった。たとえば、「お姫様もの」などだ。
また、男児向けの時代劇マンガであっても、それを読む少女はかなりいたと思われる。
すなわち、この時期の貸本マンガは、時代劇が中心であったといえるだろう。大阪の貸本マンガ専門の出版社、研文社は川崎のぼるのデビュー作『乱闘・炎の剣』の版元として知られるが、やはり時代劇を中心に出版していた。前出のひばり書房は、小島剛夕の時代劇長編シリーズ「長篇大ロマンシリーズ」の刊行で名を残すが、それはまだのちのことである。
貸本マンガがまだB6判中心だったこのころ、たとえば太平洋出版のものはタイトルもカバーの絵も不気味なものであった。そのタイトルをいくつか拾いだしてみよう。『地獄の屋形船』『鬼火蠟燭』『毒爪屋敷』『怪奇呪い絵馬』『怪奇吊り灯籠』などが並んでいる。
しかし中身は総じてやわらかく丸みのある絵柄で、小学生あたりを対象にしたものだったと思われる。事実、若木書房、ひばり書房のシリーズの当初は、『不思議の国のアリス』『徳川家康』『源平物語』『発明王エジソン』(若木書房)、『ピーターパン』『安珍清姫』『源九郎義経』(ひばり書房)といった「名作マンガ」や「偉人伝」である。このことは、子ども向けマンガの出版社が、「赤本マンガ」が「世間」から排斥されたことを強く意識し、「良書」としてのマンガを売ろうとした結果だろう。確認できないが太平洋出版のシリーズも、最初は「名作マンガ」や「偉人伝」であったかもしれない。それが読者(子ども)の好みに応じて内容が変化していった、と考えられる。
そして、絵柄が決定的に変化し、読者の年齢層も高くなるのは、大阪の日の丸文庫が短編探偵マンガ誌『影』一一号を、A5判、並製本というスタイルで発行した五七年以降である。その『影』こそ、今に続く「劇画」発祥の母胎であった。それはB6判、一二八ページ、長編読切りという貸本マンガのそれまでのスタイルを、大きく変えていく。のみならず、時代劇マンガも時代劇劇画へとその姿を変えていくことになる。
貸本マンガ出版の老舗をその設立年順にいくつかあげれば、曙出版(一九四七年)、ひばり書房(同)、東京漫画出版社(一九四八年)、若木書房(同)、太平洋出版(同)などがある。
これらの出版社が設立当初発行したのは、純然たる貸本専門のマンガではなかった。正規の流通経路(主に非大手の書籍取次会社)をとおして、新刊書店で販売されるものであった。もちろん、それが貸本店に並ばなかったというわけではない。だが、貸本店だけを対象としてマンガが出版されるのは、五三年ごろからである。
それは、そのころ各地に貸本店が急増し、全国に三万軒あるとさえいわれた貸本店だけを相手に出版しても、十分採算がとれたからである。さきにあげた出版社は徐々に貸本マンガ専門出版に軸足を移していくことになる。それらの出版社のマンガは、わずかな例外を除けば先述した体裁であった。
では、そのなかで時代劇マンガはどのようであっただろうか。
手元にある若木書房「傑作漫画全集」の『阿波の秘密』(図1、だんひろし、五五年発行)、ひばり書房「ひばりのまんが」の『けんか奴』(天草しげる、五五年発行)、それに太平洋出版の「漫画全集」『火縄銃伝奇』(図2、堀万太郎、五八年発行)をみてみよう。いずれも時代劇であるが、『けんか奴』だけが例外的に一四四ページで、定価はいずれも一三〇円である。
それぞれ巻末にはバックナンバーが記載されている。若木書房は九二冊。ひばり書房は四二冊、太平洋出版は二一二冊である。作品タイトルを手がかりに、そのなかに時代劇マンガがどれだけあるか調べると(方法上概数でしかないが)、若木書房は五七冊で約六二%。ほかは少女向けの作品だから、男児(少年)向けのものはほとんど時代劇マンガである。ひばり書房のそれは三〇冊で約七六%。太平洋出版にいたっては、八〇%以上を占める。もちろん、少女向けのマンガのなかにも多数の時代劇があった。たとえば、「お姫様もの」などだ。
また、男児向けの時代劇マンガであっても、それを読む少女はかなりいたと思われる。
すなわち、この時期の貸本マンガは、時代劇が中心であったといえるだろう。大阪の貸本マンガ専門の出版社、研文社は川崎のぼるのデビュー作『乱闘・炎の剣』の版元として知られるが、やはり時代劇を中心に出版していた。前出のひばり書房は、小島剛夕の時代劇長編シリーズ「長篇大ロマンシリーズ」の刊行で名を残すが、それはまだのちのことである。
貸本マンガがまだB6判中心だったこのころ、たとえば太平洋出版のものはタイトルもカバーの絵も不気味なものであった。そのタイトルをいくつか拾いだしてみよう。『地獄の屋形船』『鬼火蠟燭』『毒爪屋敷』『怪奇呪い絵馬』『怪奇吊り灯籠』などが並んでいる。
しかし中身は総じてやわらかく丸みのある絵柄で、小学生あたりを対象にしたものだったと思われる。事実、若木書房、ひばり書房のシリーズの当初は、『不思議の国のアリス』『徳川家康』『源平物語』『発明王エジソン』(若木書房)、『ピーターパン』『安珍清姫』『源九郎義経』(ひばり書房)といった「名作マンガ」や「偉人伝」である。このことは、子ども向けマンガの出版社が、「赤本マンガ」が「世間」から排斥されたことを強く意識し、「良書」としてのマンガを売ろうとした結果だろう。確認できないが太平洋出版のシリーズも、最初は「名作マンガ」や「偉人伝」であったかもしれない。それが読者(子ども)の好みに応じて内容が変化していった、と考えられる。
そして、絵柄が決定的に変化し、読者の年齢層も高くなるのは、大阪の日の丸文庫が短編探偵マンガ誌『影』一一号を、A5判、並製本というスタイルで発行した五七年以降である。その『影』こそ、今に続く「劇画」発祥の母胎であった。それはB6判、一二八ページ、長編読切りという貸本マンガのそれまでのスタイルを、大きく変えていく。のみならず、時代劇マンガも時代劇劇画へとその姿を変えていくことになる。
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以前お知らせした『増刊 COMIC乱』での連載は中止になりました。
第2回目の原稿および画像も入稿済みでしたが、連載中止を通告されました。
理由は、その記事内容にあるのではなく、別の問題が介在しますが、ここではそのことにふれずに、連載中止という事実だけをお伝えします。
第2回目の原稿および画像は、近いうちにここに掲載します。
第2回目の原稿および画像も入稿済みでしたが、連載中止を通告されました。
理由は、その記事内容にあるのではなく、別の問題が介在しますが、ここではそのことにふれずに、連載中止という事実だけをお伝えします。
第2回目の原稿および画像は、近いうちにここに掲載します。
今月末に不二出版から、全国貸本組合連合会の機関紙『全国貸本新聞』の復刻版が発売されます。私たち研究会も制作に協力し、別冊の解説書に梶井純と私が原稿を書きました。ちょっと高価な本ですが、貸本マンガの研究資料として貴重なものです。関心のある方はぜひお求めください。
昨日(6月2日)は、当会編集部に大竹さん(大竹文庫)、大野さん(不二出版代表)、内記さん(現代マンガ図書館)、梶井、私が集まり、解説書の最終チェックをしました。
発売日、書影など入手できしだい、ここに掲載します。
三宅秀典
昨日(6月2日)は、当会編集部に大竹さん(大竹文庫)、大野さん(不二出版代表)、内記さん(現代マンガ図書館)、梶井、私が集まり、解説書の最終チェックをしました。
発売日、書影など入手できしだい、ここに掲載します。
三宅秀典
きんらん社は1954年に設立された。貸本マンガとして、寺田ヒロオの『スポーツマン佐助』『背番号0』や、ちばてつやの『123と45ロク』などを出した出版社として知られている。全国貸本組合連合会(貸本全連)の協賛賛助会員でもあり、同連合会の機関紙『全国貸本新聞』に律儀に年賀挨拶や暑中見舞を出稿していた版元である。1960年7月13日に開催された貸本全連とマンガ出版社との懇談会、同年8月25日開催された貸本全連とマンガ編集者の懇談会にも出席している。
だが、貸本マンガに見切りをつけるのは早く、1961年に梧桐書院(1934年創業)と合併して現在は梧桐書院として実用書の刊行を続けている。
合併前、まだ貸本マンガの出版を続けていたころの所在地は、東京都文京区湯島6丁目29であった。1950年代の古い地図と現在の地図で調べてみると、今の住所表示では文京区本郷3丁目7である。ここから歩いて10分もかからないところである。行ってみることにする。
本郷3丁目の交差点から本郷通りを南に下り、サッカー通りのひとつ手前の道を左折すると、右手に見えてくるのが本郷3丁目7の一画である。
真新しいマンションや医療関係器具の製造会社など、11棟ほどの建物が並んでいる。東南アジア関連書物の発行所「めこん」もその一画にある。
きんらん社はどのあたりにあったのだろうか。
この一画の南端に、古くから営業を続けているらしい鍍金工場があった。かなり古びてはいるけれど、木造のどっしりした工場兼住居である。医療器具関連の会社がひしめき、ビルも林立するこのあたり一帯にあって、ちょっと時代をさかのぼったような建物である。
しかし、ビル化した医療器具メーカーの社屋も、50年ぐらい前はこんな姿だったのかもしれない。
その鍍金工場から、70歳ぐらいの女性が出てきたので、「このあたりに昔、きんらん社という出版社がありませんでしたか」と尋ねてみた。
旧住所はたしかに湯島6丁目の29だそうだが、記憶にないとのこと。そうだろうなあ。もう60年以上も前のことである。この女性がここで生まれ育ったとしても、10歳そこそこだったはずだ。それに、独立した社屋ではなく、貸しビルの1室での営業だったかもしれないので、記憶している人はそう多くはないだろう。
文京区には、若木書房、ひばり書房、つばめ出版、島村書店(東京トップ社)もあった。これから時間を見つけて、それらの「痕跡」を探してみることにしよう。
(三宅秀典)